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2019.9.11テックピットガーデン(八幡サービスステーション)が房州日日新聞に掲載されました。
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人は誰しも幸福になりたいと思っている。万人共通の願いだ。
貧困には絶対的貧困と相対的貧困があって、その日の食べ物に困る状態が絶対的貧困で、国民年収の中心値より下が相対的貧困と呼ばれるのだそうだ。
世界の幸福度ランキングではブータンが1位で、世界でGDP第3位の経済大国日本はかなり下位に位置し日本国民はあまり幸福とは感じていない。
幸福度は貧困度とは違い、収入等の経済力では測れないことを意味している。
水道水が飲めることが幸福だと言う日本人は居ないと思うが、汚れた濁った水を汲みに行かなければ水を得られない国の人は、国際援助で掘った井戸で綺麗な水が得られるだけで幸福になれる。
濁った水を知らないで育った次の世代は綺麗な水が当たり前なので、綺麗な水が飲めることが特に幸福とは感じなくなる。
つまり、幸福に絶対値は無く、幸福は変化するもの。
戦後の高度経済成長期の日本では「三種の神器」といわれる、カー(自家用車)、カラーテレビ、クーラーの3つのⅭを手に入れることが幸福だった。
物のない時代(インフレ)は物を手に入れて幸福を感じたが、物が溢れる時代(デフレ)になると物質的に供給過剰だから物では幸福をもたらし難くなっている。成熟社会では、物質的な欲望を追い求めても幸福になれないから、精神的な心の豊かさに幸福を感じる時代への変化を感じる。
物(物質的)から事(過ごし方)へ、手に入れる(take)から助け合う、分かち合う(give、share)へのキーワードで表される幸福に変わったのではないだろうか。
病気で入院生活を送ると、外を自分の足で歩けるだけで幸福だと思えるようになる。
不幸を経験すると、それまでの普通の日常に幸福を感じる。人は不幸を知ると幸福が解る。
幸福は手に入れるものではなく気付くものではないか。
禅寺の庭で、吾、唯、足、知、(われ、ただ、足るを知る)「知足」の蹲踞(つくばい)を何度か目にした。
不平、不満ばかりで足ることを知らなければ幸福にはなれないヨと語りかける。
欲(欲望)は意欲になり積極的な活動の動機だから、無欲になれとは言えないが、欲は際限がないから足ることを知って欲のコントロールをしなさいということだろう。
幸福は、絶対値はなく、変化し、人の心の中にしか存在しえないものなので、いかにも禅宗的な教えであるが、私は「知足」が幸福の正体だと思っている。